11月号 鰰 出荷作業・食べる会
- tohoku-taberubu
- 2014年12月3日
- 読了時間: 3分

秋田県、男鹿半島まではたはたの出荷作業に行ってきました!今回で出荷作業のお手伝いは私にとって3回目!個人的にあの単純作業がたまらん。今回は3人という今までで一番小規模でしたが、黙々と、ときおり会話を挟みつつ行われる雰囲気も私的には居心地が良かったです♪
今月号に取り上げられた秋田の県魚、はたはた。魚に神と書くはたはたは食糧のなくなった寒い男鹿半島に突如としてやってきます。これこそ神の恵み。人々はハタハタに神という文字を当て、敬ってきました。しかし、年々はたはた数を減らし、苦渋の決断の末、禁漁を選択することに。それに伴う攻防、また漁を解禁してからのはたはたを守るための苦難。ただおいしく食べていたはたはたの裏側には、漁師さんたちのたくさんの葛藤と戦いがあったのだと思い知らされました。
「消費者は王様じゃない。」
漁の解禁後、漁獲されたはたはたはオスと卵を持つメスに仕分けされるようになりました。それは、卵を持つメスの方が消費者受けがよく、高く売れるから。その結果、生活して行くために漁師さんたちは二束三文のオスよりも、たくさんの未来のはたはたを身ごもったメスを多く取らなければならないのです。ここに消費者によって振り回される生産現場の実態をありありと感じました。漁師さんが「生きるため」と「消費者の嗜好」の板挟みにあい、引き起こされるはたはた減少の負のスパイラル。
漁師はここまでやったんだ。次は消費者の側じゃないか。そういう問題を今月号の食べる通信は投げつけています。
この問題は、はたはたが絶滅の危機なら禁漁したらいい、という簡単なことではありません。禁漁にするということ。それは、漁師に死ねといっているということ、漁師がいなくなれば海と人間の境界に立つ人がいなくなるということにつながる。私たち日本人は厳しい自然の中で生きている。そういった環境の中で自然との境界線で生きる人たちを失うことがいかに大きいことか、と東北食べる通信インターンの方が語ってくださったのが印象的でした。
大学に帰還後、食べ通インターン2人組が持って来てくださったはたはたをみんなで揚げて食べました!もともと私ははたはた大好きだったのですが、今回食べたはたはたはもう、なんというか、別格でした!感動でした!身が柔らかく、ほろほろしていて、やめられない止まらない!学んだこと頭に置きつつ本当においしくいただきました。ごちそうさまです。
最後に。消費者は王様。今の日本のあらゆる生産現場にこの言葉が溢れていると思います。生産者と消費者の今ある距離を縮めることが、消費者と生産者が対等で、お互いを尊べる関係性の実現への一助につながるのではないかと思いました。
さより
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